学生の無年金問題を浮き彫りにした「六本木ディスコ照明落下事故」、制度の空白が課題に
税金・お金
バブル景気のただ中、1988年(昭和63年)1月5日。東京・六本木の高級ディスコ「トゥーリア」で、天井から吊られていた重さ約2トンの巨大な照明装置が、踊る客の上に落下した。3人が亡くなり、14人が負傷する惨事だった。華やかな時代の象徴のような事故は連日報じられ、店は開店から半年あまりで姿を消した。
だが、この事故が残したものは、それだけではない。日本の年金制度が抱えていた「ある穴」を、社会に突きつけることにもなった。
●障害が残った学生が、年金を受け取れなかった
事故で負傷した一人に、21歳の学生がいた。重い障害が残ったが、障害基礎年金が支給されなかった。理由は「国民年金に加入していなかったから」である。
ここに当時の制度の落とし穴があった。いまでこそ20歳以上は全員が国民年金に強制加入だが、当時、20歳以上の学生の加入は「任意」だった。入るかどうかは本人任せで、保険料の負担を避けて加入しない学生は珍しくなかった。
障害年金は原則として、障害のもととなった病気やケガで初めて受診した日に、年金制度へ加入していることが条件になる。未加入の間に事故に遭えば、どれほど重い障害が残っても年金は1円も出ない。彼はこうして「無年金障害者」となった。
●「任意」が生んだ空白
なぜ学生だけが任意だったのか。1961年に拠出制の国民年金が始まって以来、20歳以上の学生は強制加入の対象から外されていた。1985年(昭和60年)の大改正で全国民共通の「基礎年金」ができ、専業主婦なども制度に取り込まれたが、学生はこのときも強制加入とされず、任意のまま残された。
問題は、この「任意」が、若くして障害を負った学生を制度の外に置き去りにしてしまう点にあった。トゥーリア事故の被害者は、その空白に落ちた象徴的なケースだったといえる。
●1991年、学生も強制加入に
こうした「未加入のために障害無年金者となる事例」が問題視されたことが、制度を動かす。1989年(平成元年)の改正により、1991年(平成3年)4月から、20歳以上の学生も国民年金の強制加入(第1号被保険者)の対象となった。
厚生省(当時)自身、この改正の理由を、任意加入していなかったために障害無年金者となる事例が問題化したこと、そして40年加入で満額の基礎年金を受け取れるようにするためだと説明している。学生の身分で障害を負っても年金が出るようになり、トゥーリア事故のような悲劇を繰り返さないための線引きが、ここでようやく引かれた。
●すでに穴に落ちた人たちの「その後」
では、改正前にすでに無年金障害者となってしまった人はどうなったのか。トゥーリア事故の被害者を含むおよそ30人が、未加入を理由に年金を支給しないのは法の下の平等に反するとして、全国の地裁で訴訟を起こした。東京地裁や新潟地裁では「学生を強制加入にせず、救済も放置したのは立法不作為で違憲」とする判決も出ている。
ただし最終的には、2007年(平成19年)に最高裁がこの訴えを退け、司法上は国側の主張が通った。一方で立法による救済が先行し、2005年4月からは、任意加入時代に未加入のまま障害を負った人などを対象とする「特別障害給付金」が支給されるようになった。
●きらびやかな時代の事故が残したもの
ディスコは消え、バブルもやがて弾けた。しかしトゥーリアの事故は、年金制度に一つの教訓を刻んだ。「任意=入っても入らなくてもよい」という選択の自由は、若く健康なうちは気楽でも、万一のときには深い落とし穴になりうる、ということだ。
きらびやかな時代の事故は、めぐりめぐって、学生を年金の安全網の内側へと引き入れる動きを、現実の悲劇として後押しした出来事だった。そう位置づけることができるのかもしれない。















